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Ⅰ. ベトナム政府による政令の公布
日本では2026年4月1日に改正GX推進法が施行され、排出量取引制度(GX-ETS)が開始されました。GX-ETSの適格クレジットとして二国間クレジット制度(「JCM」)クレジットが注目されていますが、期待されたペースでの創出が進まない状況となっています。その理由の一つとして、パートナー国(ホスト国)における法制度の整備状況が追い付いていないという点があります。そうした中、ポテンシャルの高いパートナー国であるベトナムでJCMの実現に向けて大きな動きがありました。
2026年4月1日、ベトナム政府は、温室効果ガス排出削減成果及びカーボン・クレジットの国際移転に関する政令112/2026/ND-CP(「本政令」)を公布しました。本政令は2026年5月19日に施行されます。 本政令は、パリ協定6条に基づくカーボン・クレジットの国際移転に関し、プロジェクト登録から移転承認に至るまでの包括的な手続規定を初めて整備するものであり、二国間クレジット制度(JCM)をはじめとするパリ協定6.2条に基づくプロジェクトをベトナムで実施する日本企業にとって極めて重要な制度的枠組みとなります。
本ニュースレターでは、本政令の概要をご紹介した上で、JCMプロジェクトを念頭に、相当調整(corresponding adjustment)付きクレジットの国際移転を行うための主要な手続及びプロジェクト類型ごとの移転割合について解説します。
Ⅱ. 本政令の適用範囲
本政令は、パリ協定の下での温室効果ガス排出削減成果及びカーボン・クレジットの国際移転を行う機関及び組織に適用されます。具体的には、①パリ協定6.2条に基づく協定(「6.2条協定」)の枠組みでの取引、②パリ協定6.4条メカニズムの下での取引、及び③これらの枠組み外での取引の三類型を対象としています。JCMは、日本国政府とベトナム政府との間の二国間協定に基づく制度であり、6.2条協定の枠組みに該当します。
Ⅲ. 相当調整(Corresponding Adjustment)の仕組み
本政令において「相当調整」とは、ホスト国が、国際的に移転されたITMOs(Internationally Transferred Mitigation Outcomes)の量に相当する排出量を、自国の温室効果ガス排出インベントリに加算する措置をいいます。相当調整は、農業環境省がベトナム政府を代表して行います。
相当調整付きの国際移転は、移転先国がJCMクレジットを自国のNDC達成に活用するために不可欠な手続です。日本企業がJCMプロジェクトで取得したクレジットを日本のNDC達成に活用するためには、ベトナム政府による相当調整付きの国際移転承認書の取得が必要となります。
Ⅳ. JCMプロジェクト実施の主要ステップ
JCMを含む6.2条協定に基づくプロジェクトを実施し、相当調整付きでクレジットを国際移転するためには以下の主要なステップを経る必要があります。以下のステップはJCMの手続と基本的に一致しており、本政令を作成するにあたってもJCMが意識されていた可能性が高いと考えられます。その一方で、以下のように各段階でベトナム政府の承認が必要とされているところ、ベトナム政府による承認手続とJCMにおける手続がどのような関係に立つのか、今後の確認・調整が必要と考えられます。
1. 6.2条協定の締結
ベトナム農業環境省がベトナム外務省及び関係省庁と連携し、国際パートナーとの間で6.2条協定の交渉及び締結を主導します。6.2条協定にはプロジェクト登録、排出削減成果の認定、カーボン・クレジットの発行、適用される炭素基準、財務上の義務、紛争解決メカニズム等の事項が含まれている必要があります。日越両政府間で既にJCMに関する二国間文書が締結されていますが、既存の枠組みがそのまま本政令における6.2条協定として認められるのか、今後の動向を注視する必要があります。
2. プロジェクト・アイディアの登録
プロジェクトを実施しようとする機関・組織は、まずプロジェクト・アイディアの登録申請書類一式を農業環境省に提出します。 審査においては、プロジェクト・アイディアが本政令の付表I(後述)に定めるリストに適合するか及び分野・地域の開発戦略目標との整合性が評価され、 分野管轄省庁及び関係機関への意見照会が行われた上で、有効な書類の受領後15営業日以内に審査結果が通知されます。
3. プロジェクト登録
プロジェクト・アイディアの登録承認後1年以内に、プロジェクト登録の承認申請書類一式を農業環境省に提出します。農業環境省は、プロジェクトの追加性及び持続可能性、カーボン・クレジット生成段階のベトナムNDCとの整合性、プロジェクトのNDC達成への貢献等を評価します。分野管轄省庁への意見照会を経て、有効な書類の受領後45日以内に審査結果が通知されます。
なお、本政令における「追加性」とは、①排出削減量が現行法令の要求水準を上回ること、②ホスト国で普及している技術より優れた先進的排出削減技術を適用すること、③技術的・財務的支援又はクレジット売却収入がなければ実施・投資誘致が困難であること、の全てを満たすものと定義されています(本政令3条17項)。
4. 排出削減成果の算定・報告・検証
プロジェクト実施機関・組織は、6.2条協定に適用される炭素基準に従い、プロジェクトからの温室効果ガス排出削減成果を算定・報告します。排出削減成果は、同協定に適用される炭素基準管理機関が認定した審査機関又は協定に規定された審査機関による検証を受ける必要があります。
5. 排出削減成果及びカーボン・クレジットの認定・発行
プロジェクトからの排出削減成果及びカーボン・クレジットの認定又は発行を受けるため、代表組織が農業環境省に申請書類一式を提出します。分野管轄省庁への意見照会(20営業日以内に回答)を経て、有効な書類の受領後25営業日以内に結果が通知され、国家登録システム上の口座に記録されます。
6. 相当調整付き国際移転の承認
相当調整付きでの排出削減成果及びカーボン・クレジットの国際移転を希望する場合、代表組織が所定の様式により農業環境省に承認申請を行います。農業環境省は、分野管轄省庁及び関係機関の書面意見(20営業日以内に回答)を収集した上で、申請受領後25営業日以内に国際移転承認書を発行します。プロジェクトの登録について承認を得たとしても、自動的に相当調整付きの国際移転が行われる訳ではなく、最終段階でもベトナム政府の承認が必要となっている点が注目されます。
Ⅴ. プロジェクト類型ごとの移転割合
本政令は、相当調整付きの国際移転について、プロジェクト類型に応じた国外への最大移転割合(JCMクレジットとして日本に移転される割合)を定めています(本政令6条)。
付表Iの「リスト第1号」(優先的に国際移転される排出削減措置・活動)に該当するプロジェクトについては、排出削減成果及びカーボン・クレジットの最大90%が移転可能です。 付表Iの「リスト第2号」(国際移転が奨励される排出削減措置・活動)に該当するプロジェクトについては、最大50%が移転可能です。リスト第1号又は第2号に記載されていない類型のプロジェクトについては、相当調整付きの国際移転を認めない趣旨だと解されます。国際移転後に残る排出削減成果、カーボン・クレジットは、国内取引に使用することが認められています。また、相当調整を伴わない国際移転の場合は、全てのプロジェクトについて最大90%の移転が可能です。
文末にリスト第1号及びリスト第2号の具体的な措置・活動をそれぞれ掲載していますが、個別に注目すべき点としては、従来型の太陽光再エネや屋根置き太陽光などが除外されている点、日本企業の関心が高いAWD(水田の間断灌漑)が最大90%カテゴリーに含まれている点などが挙げられます。また、既存のJCMプロジェクトについては、リスト第2号(最大50%)において「JCMメカニズム又はCDMから6.4条メカニズムへの移行で登録済みの再エネ・省エネプロジェクト」が列挙されています。これらのプロジェクトについては、相当調整を伴う国際移転の対象とならない類型のもの(例えば従来型太陽光発電や屋根置き太陽光)であったとしても、特例的に最大50%までのJCMクレジット化を認める趣旨と理解されます。
Ⅵ. 日本企業への実務的示唆
本政令の施行により、ベトナムにおけるJCMプロジェクトの制度的枠組みが明確化されました。日本企業が留意すべき主要なポイントは以下のとおりです。
第一に、プロジェクト登録から国際移転承認までの手続には、複数段階の政府許認可が必要とされている点です。本政令が定めるプロセスは概ねJCMのプロセスと一致しているものの、問題となるのはJCMのプロセスと本政令で定めるプロセスの関係です。プロジェクトの登録を例に取れば、JCMの二国間合同委員会(JC)による承認とは別に本政令に基づくベトナム政府の承認を得る必要があるのか、それともJCMプロジェクトに関しては、二国間合同委員会の承認を得ることで足りるのか、本政令とJCMのプロセスがどのような関係に立つのかについて整理が必要となりそうです。かかる整理次第では相当の手続的な負荷を負うことになる可能性があります。
第二に、相当調整付きの国際移転が認められるプロジェクトが限定列挙されたという点が注目されます。もっとも、付表Iのリストは固定的なものではなく、分野管轄省庁の提案に基づく首相の判断により調整・補充される仕組みとなっています。今後のリストの改定動向によっては、新規のプロジェクト類型が認められたり、JCMクレジットの移転割合が変更される可能性もあり、継続的なモニタリングが求められます。
第三に、クレジットの配分は「最大で」50%/90%とされている点です。具体的に何パーセントの配分を受けられるかという点について個別の交渉・折衝が必要となる可能性があります。仮にそうだとするとベトナム政府の判断の遅れなどによりプロジェクトに時間がかかることも予想されます。
本政令は2026年5月19日に施行されます。ベトナムにおけるJCMプロジェクトは本政令の制定を待つ形で停止した状態が続いていました。本政令の施行によりJCMプロジェクトに関する手続が本格的に動き出すことが予想されるため、ベトナムでJCMプロジェクトを実施中又は計画中の日本企業は、本政令の各手続要件を早期に確認すると共に、日本の関連省庁とも連携し、JCMプロジェクトに係る手続を早期に開始することをお勧めします。
Ⅶ. JCM制度への示唆
日本企業に対する示唆は上記のとおりですが、本政令はJCM制度そのものについても一定の示唆を与える部分があるように思われます。
まず、JCMクレジットの配分の基準が何なのかという点です。この点については従来から「日本の貢献」を基準に配分割合を決めるという説明がなされることがありました。しかしこの考え方がどこまで妥当するのかという点については更に検討を深める必要があるように思われます。本政令の下でも「最大で」50%/90%配分されるため、具体的な配分割合を決める際には「日本の貢献」が意味を持つ場面はありそうです。その一方で、プロジェクト類型ごとに配分割合の上限が決まるということは、「日本の貢献」とは無関係に配分割合が決定される面があることが示唆されます。本政令を契機としてJCMクレジットの配分割合はどのような基準で決まるのかという点についての議論を深める必要があるように思われます。また、近年JCM関係者の間ではクレジットの配分割合の折衝を行う上での官と民の役割分担が議論されています。この点、配分割合が「個別プロジェクトにおける日本の貢献」で決まるのだとすると民間事業者の役割が相対的に強調される方向に働きます。他方で、パートナー国の政策で決まる要素が強いということになれば、むしろ日本政府がより積極的な役割を果たすことが期待されます。本政令を契機にそうした議論が進むことを期待します。
次に、リファレンス排出量の功罪という点があります。JCMは一般的なカーボン・クレジットスキームにおけるベースライン排出量よりも保守的な「リファレンス排出量」を基準としてクレジットを算定・発行します。保守的な基準を設けることにより環境十全性を確保しようとする考え方であり、それ自体には合理性があると思われます。一方で、本政令のように「排出削減成果及びカーボン・クレジットの」○%という形で配分が決められると、リファレンス排出量を基準とするJCMは他の6.2条クレジットと比較して不利益を被ることも予想されます。これはリファレンス排出量という保守的な基準を設けたことの結果であるからやむを得ない(当初から想定された不利益である)と考えることもできますが、一方で、JCMは(本政令のように)パートナー国がリファレンス排出量の保守性を度外視して画一的にクレジット配分割合を決定することを想定していなかったようにも思われるところです。そうしたことを踏まえて制度のチューニングが必要かどうか、今後検討が必要となるようにも思われます。
リスト第1号:優先的に国際移転される排出削減措置・活動(相当調整付き最大90%移転可能)
| 分野 | 措置・活動 |
| エネルギー | 地熱発電 |
| 洋上風力発電 | |
| オフグリッド太陽光発電(15MW未満、社会経済的困難地域向け) | |
| 波力・潮力エネルギー、グリーン水素・グリーンアンモニア・メタンバイオガス製造 | |
| 先端技術によるエネルギー貯蔵システム(ESS) | |
| 利用可能な最良の技術(BAT)によるエネルギー効率改善・燃料転換・節約 | |
| エネルギー(運輸) | グリーンエネルギー・クリーンエネルギー車両への転換 |
| 高排出交通手段から低排出交通手段への転換 | |
| 電気自動車充電ステーション | |
| 産業プロセス | 産業プロセス・建材製造・エネルギーにおけるCCUS又はCCS技術の適用 |
| 大気からの直接CO2回収 | |
| 産業プロセス・建材製造における温室効果ガス排出削減のためのBAT適用 | |
| 地球温暖化係数(GWP)の低い冷媒への切替え | |
| 廃棄物・排水管理 | 焼却による固形廃棄物処理(発電付き) |
| 埋立処分場からのガス回収・利用 | |
| 分散型生活排水処理における嫌気性浄化槽から好気性技術への転換・適用 | |
| 生活排水処理システムにおける好気性技術の転換 | |
| 高GWPのHFC、HCFC、SF6物質のリサイクル・破壊 | |
| 農業・畜産 | 多年生植物の灌漑・施肥の近代化 |
| 作物残渣の循環利用 | |
| インフラが不十分な地域における交互湛水・改良型稲作システム | |
| 微生物技術の稲作システムへの適用 | |
| 稲わら・農業副産物からのバイオガス、バイオ炭 | |
| 牛・水牛の飼料改善 | |
| バイオ燃料製造 |
リスト第2号:国際移転が奨励される排出削減措置・活動(相当調整付き最大50%移転可能)
| 分野 | 措置・活動 |
| エネルギー | 輸入LNGを使用するコンバインドサイクルガス火力発電所 |
| バイオマス発電 | |
| JCMメカニズム又はCDMから6.4条メカニズムへの移行で登録済みの再エネ・省エネプロジェクト | |
| 近海風力発電 | |
| 産業プロセス | セメント製造における混合材の使用 |
| 温室効果ガス排出枠取引に参加しない施設における石炭・石油ボイラーのバイオマス燃料ボイラーへの置換え | |
| エネルギー(住宅・商業・サービス) | 高効率エアコンの使用 |
| 高効率冷却機器の使用 | |
| 廃棄物・排水管理 | 堆肥製造 |
| 焼却による固形廃棄物処理(発電なし) | |
| 固形廃棄物の嫌気性処理・バイオガス回収 | |
| 固形廃棄物由来燃料(RDF)の製造 | |
| 集中型産業排水処理における好気性技術の転換・適用 | |
| 産業排水処理システムからのバイオガス回収・利用 | |
| 農業・畜産 | 尿素肥料の窒素緩効性・緩分解性肥料への代替 |
| 家畜廃棄物の有機肥料への循環利用 | |
| 生活廃棄物・家畜廃棄物・農業副産物からの有機肥料製造 | |
| 養殖技術の改善 | |
| 林業 | 陸上天然林に対するREDD+の実施 |
| マングローブ及び海草藻場の排出削減・温室効果ガス吸収増加 | |
| 陸上植林の改善を通じた温室効果ガス吸収増加 | |
| 農林業開発・非森林樹木からの温室効果ガス吸収増加 | |
| その他 | 排出削減分野・活動におけるプロセス改善のためのその他の先進的措置・技術 |