Ⅰ. はじめに
2025年は、水素等の供給・利活用の拡大に向けて、前年に施行された「脱炭素成長型経済構造への円滑な移行のための低炭素水素等の供給及び利用の促進に関する法律」(以下「水素社会推進法」といいます。)に基づく支援制度の展開を始め、様々な政策が実施されました。
本稿では、わが国の水素政策について、本年の主な動きを振り返り、今後の展望を考察します1。
Ⅱ. 水素社会推進法に基づく支援制度の現在地
1. 価格差支援案件の選定
水素社会推進法に基づく「価格差に着目した支援制度」に関しては、資源エネルギー庁によると、支援スキームの公募に対し本年3月31日の締切までに計27件の計画申請があり、申請に係る想定支援総額を機械的に積み上げると、財源となるGX経済移行債から充当される3兆円(15年分)を大きく超える規模であったとのことです2。
その後、本年9月30日と12月19日にそれぞれ国内案件2件と海外案件2件の認定が公表されました3。なお、支援規模や水素製造コストの目安となる「基準価格」は公表されていません4。
資源エネルギー庁は、今後も審査を継続し本年度後半にかけて条件が整った案件から順次認定していく予定としており、さらに国内外の案件を認定・公表していくものと見込まれます。もっとも、海外から水素等を輸入する案件に関しては、近時、製造国においてインフレによる開発費の増大や市場の立ち上がりの遅れ、補助金削減や政策の不透明感等を理由に事業者が撤退する案件もありました。このため、資源エネルギー庁においても、各案件の事業性や確実性を慎重に審査しているものと考えられます。
2. 拠点整備支援案件の審査状況
水素社会推進法におけるもう一つの支援制度である「拠点整備支援制度」では、①事業性調査(フィージビリティスタディ)支援、②設計(FEED)支援、③インフラ整備支援の3段階の支援が用意されています。このうち、本年は第2段階の②FEED支援の申請期間が3月5日から6月30日まで設けられました。もっとも、FEED支援を受ける予定がなくても第3段階の③インフラ整備支援を受けたい事業者はこの段階で申請することとされました5。審査結果は本稿執筆時点で発表されていませんが、資源エネルギー庁は、本年6月30日の締切までに12件の申請があって、審査中であり、条件が整った案件から、順次認定していくとしています6。
拠点整備支援制度では、海外から低炭素水素等の輸送に関する受入基地の整備(複数の利用事業者が使用する共用パイプラインや共用タンク等)を支援することが想定されています。受入基地として成り立つためには、基地を利用する供給事業の存在が必須です。そうした供給事業は価格差に着目した支援案件の審査対象でもあると考えられます。したがって、拠点整備支援制度の申請案件の審査においては、前述の価格差に着目した支援制度の申請案件との整合性を考慮することを要し、より複雑な検討がなされているものと考えられます。
Ⅲ. 利用側への支援制度等の動向
1. 長期脱炭素電源オークション
脱炭素電源への投資を促進する仕組みとして、2023年度から容量市場に導入された長期脱炭素電源オークションにおいては、本年、第3回入札(応札年度:2025年度)に向けた制度の見直しが行われました。
この中で、水素・アンモニアの専焼・混焼火力に関しては、①アンモニア専焼の新設・リプレースを対象に追加、水素・アンモニアの混焼率90%以上の火力の専焼案件としての取扱い、②水素・アンモニア・CCSにつき、上限価格の閾値の原則20万円/kW/年への引き上げにかかわらず、導入が可能となる水準まで引き上げる一方、募集上限(50万kW)を設定し、燃料サプライチェーンに係る事前審査を行う、③燃料費等の可変費も、固定的な負担部分に限定せず、一定の範囲で応札価格に算入可能とする、④対象とする案件の混焼率の増加幅の下限の導入、⑤価格差支援・拠点整備支援(期限内申請案件に限る。)の不適用又は支援金額の不足による市場退出にペナルティを課さない等の見直しがなされました。
本年4月に公表された2024年度の約定結果では既存火力発電所をアンモニア混焼に改修する案件が1件約定しています。なお、2023年度でも同様に既存火力発電所で水素・アンモニアを利用するための改修案件が複数約定しております。
今後も長期脱炭素電源オークションの活用により電力分野において水素等を利用する事業が進展していくことが期待されます。
2. 排出削減が困難な産業におけるエネルギー・製造プロセス転換支援事業
電力分野以外の利用側の支援に関しては、経済産業省は2024年から鉄鋼、化学、紙パルプ、セメント等の排出削減が困難な産業(いわゆる「hard to abate (HtA)」産業)において、排出削減効果等の要件を満たす自家発電設備等の燃料転換や製造プロセス転換に必要な設備投資の一部を補助する支援事業を実施しています。2024年は鉄鋼事業分野を、本年は6月と10月に化学・紙パルプ・セメント事業分野を対象とした公募が行われました。これまでに鉄鋼事業分野で2件、化学・紙パルプ・セメント事業分野で3件の事業採択が発表されています。
本支援事業の採択事業者は、脱炭素成長型経済構造移行推進戦略(GX推進戦略)に記載の「国による投資促進策の基本原則」や分野別投資戦略に記載の「投資促進策の執行原則」等に基づき、採択時に一定のコミットメントを示すことや、事業実施期間中におけるモニタリング等を当局と協議し適切に実施することが求められます。他方で、本支援事業においては、前述の長期脱炭素電源オークションの落札者に対するリクワイアメントやそれが未達の場合のペナルティのような一律の義務は課されておらず、HtA産業の利用側にとってはその設備転換のための投資決断をより行いやすいという利点がある可能性があります。
本支援事業の次回以降の公募は未定ですが、水素社会の実装には供給側と利用側の両方で設備投資が進む必要があることから、来年度以降の継続が期待されます。
3. 燃料電池商用車の導入促進に関する重点地域の選定
水素社会推進法に基づく基本方針7では、燃料電池自動車の利点が発揮されやすいトラック等の商用車の重点的な導入を図るとされ、そのために需要が大きく地方自治体の意欲的な活動が見込まれる地域を重点地域と定め、先行需要の創出とともに周辺需要の喚起を図っていくものとされています。
経済産業省は、本年3月にこの「重点地域」の第1回募集を行い、5月19日にその審査結果を下記のとおり発表しました8。
| 東北重点地域(中核自治体は福島県) 関東重点地域(中核自治体は東京都・神奈川県) 中部重点地域(中核自治体は愛知県) 近畿重点地域(中核自治体は兵庫県) 九州重点地域(中核自治体は福岡県) |
これらの重点地域においては、国から水素ステーションに対する追加的支援が行われます。具体的には、機器修繕費や水素調達費など変動運営費について、国がディーゼル相当供給コストとの差分に対して約700円/kg(差額の約3/4程度に相当)を追加的に支援する方針としています。これにより、地方自治体独自の支援も呼び込むことで事業者の負担を大幅に低減する想定です。実際に、例えば東京都9や愛知県10では燃料電池商用車補助金を独自に整備するなど、燃料電池商用車導入のための施策を実行しています。
燃料電池商用車の導入にあたっては、「自動車メーカーは、需要の見込みがないと生産投資計画が立てられない」、「運送業界は、自動車と水素ステーションの増加の見込みがないと導入計画が立てられない」、「水素ステーション事業者は、自動車の増加の見込みがないと投資計画が立てられない」という三すくみの状態が長らく続いてきました。今回の政策では、特定の地域で重点的な支援をすることで先行需要を創出していくという国や地方自治体の強い意思が感じられます。
Ⅳ. 市場創出に向けた取組み
1. 東京都グリーン水素トライアル取引
東京都は、「2050東京戦略」のうち「ゼロエミッション」に資する取組みとして、2024年度から、市場形式による水素取引を試行する「東京都グリーン水素トライアル取引」を実施しています。本トライアル取引には、グリーン水素の社会実装化を加速するためグリーン水素の取引機会を創出し、利用を促進する狙いがあります。2025年度は既に5月と9月に入札が実施され、年度内にもう1回入札が予定されています。
本トライアル取引では、グリーン水素の供給事業者が販売価格を、利用事業者が購入価格を、それぞれ入札するというダブルオークション方式が採用され、供給事業者の落札単価が利用事業者の落札単価を上回る場合、その差額を東京都が支援する仕組みとなっています。オークションの運営は、東京商品取引所が行っています。
これまでのところ入札参加事業者数は限定的ですが、利用側では毎回複数の事業者が入札しています。また、各回の取引数量や輸送方式(カードル又はトレーラー)、供給側・利用側の両方における落札価格も公表されています。このように取引価格を可視化するなど、取引市場の環境が整えられることで、今後より多くの事業者が参加し水素取引市場が活性化していくことが期待されます。
Ⅴ. 脱炭素・サステナビリティに関する他の動向との関係
1. 国の動き
水素社会推進法及びその施行規則では、「低炭素水素等」の参照基準として、いわゆる炭素集約度の概念を用いています。水素に関しては1kgあたりの製造に伴い排出される(well-to-gate)二酸化炭素の量が3.4kg以下であることが要件とされています11。国の法令レベルでは、この炭素集約度を除き、水素事業特有のサステナビリティ関係の基準や閾値は特段存在しないところです。
2. 地方自治体の動き
地方自治体においても、一部で注目される動きがありますので、紹介します。
北海道では、道のグリーントランスフォーメーション(GX)をリードする産学官金のコンソーシアムであるTeam Sapporo-Hokkaidoが、本年10月に「Team Sapporo-Hokkaido グリーンファイナンス・フレームワーク」を策定・公表しました12。このフレームワークは、グリーン投資に関心を持つ資金提供者が十分な判断材料を得られる環境を整備するため、脱炭素への貢献度を示す「グリーン基準」と、地域との共生度合いを示す「地域サステナビリティ基準」を設定し、地域とGX事業者が持続的に成長する枠組みを目指すとしています。
分野を問わず共通する考え方を示している「マスターフレームワーク」、分野ごとの考え方を示す「サブフレームワーク」で構成されており、水素との関係では「サブフレームワーク(水素)」が定められています。そこでは、「グリーン基準」として炭素集約度を用いることとされ、前述の水素社会推進法に定める二酸化炭素排出量(well-to-gate)3.4kg以下を満たす場合には「トランジション」、ライフサイクルで3.0kg以下の場合には「グリーン」、ライフサイクルでゼロ排出の場合には「グリーンプレミアム」の評価ラベルを用いることができるとされています。本フレームワークは、法令ではなく、事業者がグリーン投資家からの資金調達を検討するにあたって参照するためのものですが、脱炭素の観点から水素についても一定の水準を示すものとして、注目されます。
そのほか、本フレームワークでは、炭素集約度以外の観点からも、事業のサステナビリティが評価されることになっています。例えば、事業者資金充当状況や環境改善効果、地域サステナビリティに関する年次レポーティングが求められることになっているほか、下記の項目で当該事業が「周辺環境への重大な影響の無いこと(DNSH: Do No Significant Harm)」を確認することも求められています。
| “Do No Significant Harm”に求められる項目(いずれもEUタクソノミーより引用) ・ 気候変動対応 ・ 水 ・ 汚染 ・ 生物多様性と生態系保護と回復 |
他の地方自治体について見ると、東京都13や中部圏(愛知、岐阜、三重)14も独自のグリーン水素(低炭素水素)認証制度を設けています。いずれも再エネ電源(又は非化石証書)を利用した水素製造に対する認証とされています。
3. 今後について
今後については、国レベルでは、水素社会推進法に基づく支援制度において、十分な審査能力を持つ外部評価機関が炭素集約度を確認する制度の導入が示唆されていますが、その具体的内容はまだ公表されていません15。今後は「低炭素水素等」に求められる要件として、先駆的な地方自治体の動きに鑑み、炭素集約度だけでなくより広い範囲のサステナビリティの観点が検討される可能性もあります。
Ⅵ. おわりに
世界的なインフレや政策の不安定さを背景に、国内外で急激な盛り上がりを見せた水素ブームは、足元の環境変化もあって落ち着きを見せている印象ですが、一定の競争力を有し、引き続き進行しているプロジェクトもあり、世界における低炭素水素等の生産は2030年までに大幅に増加すると予想されています16。日本では、水素社会推進法に基づく中長期の政策支援が実施され、地方自治体による各種支援策が着々と導入されてきており、現実的な案件が実行フェーズへと移っていくことが期待されます。2026年には、価格差支援制度や拠点整備支援制度における認定案件もさらに増える見通しで、それらにより2030年に向けた水素事業や水素インフラの絵姿が一定程度見えてくるものと思われます。
当事務所としては、引き続き、水素の社会実装の黎明期における動向をフォローし、クライアントの皆様に価値ある情報を提供していきたいと考えております。
- 低炭素水素等の供給・需要の拡大に向けて官民における様々な取組みが展開されていますが、本稿は政策の動向にフォーカスしております。このような取組みに関しては本年開催された大阪・関西万博において様々な展示・イベントがなされ、水素社会の実現に向けた日本の取組みの現在地と今後の展開が国内外に示されました。
- 経済産業省産業構造審議会グリーンイノベーションプロジェクト部会エネルギー構造転換分野ワーキンググループ(第29回)資料6「水素を取り巻く国内外情勢と水素政策の現状について」16頁(https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/green_innovation/energy_structure/pdf/029_06_00.pdf)
- 資源エネルギー庁特設ページ「脱炭素成長型経済構造への円滑な移行のための低炭素水素等の供給及び利用の促進に関する法律(水素社会推進法)」中の「8. 認定供給等事業計画」(https://www.enecho.meti.go.jp/category/saving_and_new/advanced_systems/hydrogen_society/carbon_neutral/index.html)
- 英国では水素CfDラウンド1選定案件(11件)の基準価格の加重平均を公表しており、ドイツのH2 Globalも初回買取入札におけるグリーンアンモニアの落札価格(1トン当たりの単価)を発表しています。これらの対応は、足元の「水素取引価格」を把握し、将来的な水素市場の形成に資する面があり、わが国においても同様の対応の検討が行われるか注目されます。
- 前掲資源エネルギー庁特設ページ中の「9. 参考資料・リンク」に掲載されている「拠点整備支援制度のFAQ(6月18日版)」1-26参照。
- 経済産業省総合資源エネルギー調査会資源・燃料分科会(第45回)資料3「資源・燃料政策を巡る状況について」68頁(https://www.meti.go.jp/shingikai/enecho/shigen_nenryo/pdf/045_03_00.pdf)
- 経済産業大臣・国土交通大臣による令和6年10月23日付「低炭素水素等の供給及び利用の促進に関する基本的な方針」(令和6年経済産業省・国土交通省告示第5号)
- 経済産業省ニュースリリース「第1回「燃料電池商用車の導入促進に関する重点地域」を選定しました」(https://www.meti.go.jp/press/2025/05/20250519004/20250519004.html)
- 東京都ウェブサイト「Tokyo水素ナビ」「普及に向けた支援策(補助金等)」(https://www.tokyo-h2-navi.metro.tokyo.lg.jp/torikumi/siensaku)
- 愛知県ウェブサイト「愛知県の水素・FCVに関する取組」(https://www.pref.aichi.jp/site/suiso-fcv/nenryo.html)
- 水素社会推進法2条第1項、同法施行規則3条第1項。
- Team Sapporo-Hokkaidoウェブサイト(https://tsh-gx.jp/staticpage/tsh-gffw/)
- 東京都ウェブサイト「グリーン水素率先利用事業者認証制度」(https://www.green-h2-certification.metro.tokyo.lg.jp/)
- 愛知県ウェブサイト「中部圏低炭素水素認証制度」(https://www.pref.aichi.jp/soshiki/suiso/low-carbon-hydrogen.html)
- 資源エネルギー庁「価格差に着目した支援の認定申請に関するQ&A」4-1参照(https://www.enecho.meti.go.jp/category/saving_and_new/advanced_systems/hydrogen_society/carbon_neutral/faq1217.pdf)
- IEA「Global Hydrogen Review 2025」(2025年9月)によれば、従前の政府・業界の目標には及ばないものの、全世界において、現在稼働中又はFID段階にあるプロジェクトからの低排出水素生産量は2030年までに年間420万トンに達し、2024年の生産量と比較して5倍の増加となる見込みとされています。