Ⅰ. はじめに
2026年2月24日、イノバセル株式会社(以下「イノバセル社」といいます。)が東京証券取引所グロース市場に上場しました。同社は、IPOに先立つ2025年8月13日に、IPOラチェット型新株予約権を活用して資金調達を行っており、その後上記の上場日において、IPOラチェット型新株予約権の普通株式への転換を実現しました。本件は、レイター・プレIPOステージの非上場企業が、日本国内において、IPOラチェット条項を含む新株予約権を活用して資金調達を行い、東京証券取引所への上場とこれに伴う公開価格での普通株式への転換を実現するに至った数少ない事例であり、特にレイター・プレIPOステージにおける非上場企業による資金調達方法に新たな選択肢を提供するものとして注目されます。
当事務所は、同社による当該IPOラチェット型新株予約権の発行及びその後の東証上場について発行体カウンセルとして関与し、IPOラチェット型新株予約権の設計、関連する契約及び開示書類の作成その他法令上必要な手続きをサポートしました。
本ニュースレターでは、今回活用されたIPOラチェット型新株予約権の概要、法的論点、今後想定される活用方法等についてご紹介します。
Ⅱ. IPOラチェット型新株予約権の概要
1. コンバーティブル・エクイティ(CE)を用いた資金調達
(1)概要
コンバーティブル・エクイティ(CE)とは、一定の事由が生じた場合に株式に転換できるエクイティ性の商品を総称するものですが、特に、発行当初は株式への転換価額を定めず、転換価額の算定式と転換条件(転換の発動条件)のみが設定されたものを指すことが多いです1。
米国においては、いわゆる「SAFE」といった大手アクセラレーターが作成・公開する契約雛形が存在し2、このようなCEを用いた資金調達が一般化しています。日本においても、金融商品取引法上の制約を踏まえ新株予約権として設計された「J-KISS型新株予約権」が、投資契約、発行要項、登記申請書類等一連の書類を揃えて公表されています3。
このようなCEを用いた資金調達の本質的な特徴は、種類株式を用いた資金調達とは異なり4、投資の時点では発行体のバリュエーションを行わずに、次のラウンドでの株式による資金調達までこれを繰り延べることにあります。すなわち、特にシード期・アーリー期のスタートアップ企業においては、収益性の目途が立っていないことも多く、投資家にとっては投資に係るリスクが大きい一方で、狙っているビジネスの市場規模やシェアの算定も難しく、バリュエーションは容易ではありません。シード期・アーリー期における投資規模は比較的少額になる一方、そのような少額の投資案件においてスタートアップ企業・投資家の双方が多大な労力を割いて投資条件を交渉することは、「タイム・イズ・マネー」である創業局面においてデメリットとなりかねません。そのため、特にこのようなステージのスタートアップ企業においては、発行体のバリュエーションを将来に先送りしつつ、シード期・アーリー期における迅速な資金調達を実現することに大きな意義があるとされてきました5。
もっとも、バリュエーションを将来に先送りするCEの特徴は、シード期・アーリー期に限られずレイター・プレIPOステージのスタートアップ企業においても活用する余地があるといえます。そのため、近時はレイター・プレIPOステージのスタートアップ企業においても、CEの内容に工夫をこらしつつ、CEによる資金調達の方法がとられるようになってきています。
(2)CEの内容
上記のとおり、日本におけるCEの設計に際しては会社法上の新株予約権が用いられます。CEで用いられる新株予約権は、発行時点における新株予約権の払込金額として調達資金のほぼ全額の払込みがなされ(したがって、資金調達はこの時点で実質的に完了することになります。)、その後の新株予約権の行使時点においては、1円といったノミナルな金額が行使価額として払い込まれることが一般的です。
そして、新株予約権の行使により発行(転換)される株式の数は、新株予約権発行時の払込金額の総額を、当該新株予約権の割当日以降に行われる新株発行における1株当たりの発行価額(「転換価額」と定義されることもあります。)で除した数等とされます。なお、転換価額は、発行価額に一定のディスカウント(例えば0.8)を乗じた額とすることもあり、その場合には、新株予約権を保有する投資家は、次のラウンドでの資金調達で新たに参加する投資家よりも一定程度有利な価額で新株式を取得できることになります6,7。
2. IPOラチェット条項の概要及び近時の動向
近時、日本において、レイター・プレIPOステージにおける資金調達に、いわゆるクロスオーバー投資家といわれる海外の機関投資家や日本国内のレイター向け大型ファンド、PEファンド等が参入しています。日本においても、非上場であっても高いバリュエーションを獲得するメガベンチャーが登場し、またそれに投資可能なプレイヤーが増えたこと等を受けて、レイター・プレIPOステージでの大型の資金調達が増加する一方で、その後の金融市場の環境変化等に起因して、IPO時における公募・売出価格(以下「公開価格」といいます。)が最終の非上場ラウンドにおける発行価額を下回る、いわゆるダウンラウンドIPOも現れてきています。ダウンラウンドIPO自体は、企業価値を適正に評価した結果であれば、本来は必ずしも問題ではないともいえますが、投資家としてレイター・プレIPOステージにおける発行体の成長性及びビジネスモデルを高く評価しているにもかかわらず、ダウンラウンドIPOのリスクを過度に恐れて、投資を断念せざるを得ない、あるいは発行体としても実態よりも保守的なバリュエーションでしか資金調達が実現できないといった事態が懸念されます。
IPOラチェット条項は、上記のような場面を想定し、レイター・プレIPOステージでの資金調達を実現しつつ、その後株式公開がなされた場合に、その公開価格が投資家の想定する目標価額を下回った場合に転換価額を調整することで、投資家がダウンラウンドIPOの場合に損失を被ることを回避する条項になります。具体的には、特にIPO直前の最後の資金調達における発行価額等を公募価格の目標値とし、実際の公開価格がかかる目標値に達しない場合には、その差分に相当する株式を転換により当該投資家が得ることができるように、転換価額を調整するものです8。
米国においては、株式公開時に自動的に種類株式が普通株式に転換されるのが実務ですが、日本においては、従来、株式の上場の申請時(株式公開時よりも3か月程度前となります。)にすべての種類株式を普通株式に転換する実務が定着していたため、IPOラチェット条項を米国と同様に活用することができない状況にあるとされてきました(日本における一般的な上場までのタイムラインについて、下図をご参照ください。)。
もっとも、2025年9月30日、経済産業省により公表された、スタートアップ投資契約ガイドライン「我が国における健全なベンチャー投資に係る契約の主たる留意事項」増補版(以下「本ガイドライン」といいます。)9において、種類株式を上場日に転換することも可能である旨の東京証券取引所、金融庁、証券保管振替機構及び証券会社の関係者による見解が紹介されるとともに、上場に伴う普通株式の転換を可能とする取得条項について、上場日に普通株式に転換するように活用することも検討することも想定されることについて言及がなされました。こうしたガイドラインの公表もあり、日本においても、近時ではIPOラチェット条項を定めた種類株式による資金調達を目指す機運が高まっています。
以上のとおり、日本においても、今後はIPOラチェット条項を定めた種類株式による資金調達の事例が増えることも考えられます。そのような中、IPOラチェット条項を定めたCEによる資金調達は、上記の議論を先取りする形でIPOラチェット条項が実際に活用されたリーディングケースとして重要な意味を有するとともに、今後もレイター・プレIPOステージのスタートアップ企業にとって引き続き有効な資金調達方法になり得ると考えられます。すなわち、上記1.(1)のとおり、CEによる資金調達は発行体のバリュエーションを将来に先送りできる意義を有するため、レイター・プレIPOステージにおいて株式公開時の公開価格に不確実性が存在し、バリュエーションについて投資家との間で合意形成が容易ではない中でも、上場前に一定の金額規模の資金調達を迅速に実施したいというニーズがあるスタートアップ企業にとっては、種類株式よりもCEを活用することが有意義となる場面があると考えられます10,11,12。
こうした中、イノバセル社において、CEに紐づける形でIPOラチェット条項を活用し、プレIPO段階において資金調達を行ったことが注目されます。
Ⅲ. IPOラチェット型新株予約権を活用した資金調達事例
1. IPOラチェット型新株予約権の内容
IPOラチェット型新株予約権のスキーム(新株予約権の発行要項)は、大要下表のとおりです。
下表のとおり、IPOラチェット型新株予約権(下表において「本新株予約権」と呼称します。)においては、転換価額が発行体の普通株式の新規株式公開における1株当たりの公開価格を基準して確定される旨をIPOラチェット型新株予約権の発行要項に定めることで、公開価格を参照して、(上場申請時ではなく)上場日に普通株式に転換されることが特徴です13。
| 概要 | |
|---|---|
| 新株予約権の目的となる株式(「転換対象株式」)の数 |
|
| 株式を対価とする本新株予約権の取得条項14,15 |
|
2. 開示上の論点
(1)有価証券届出書における記載
優先株式によるか新株予約権によるかを問わず、IPOの条件決定日に決定される公開価格を基準として転換により新規に発行される普通株式数が確定する仕組みを採用する場合の1つの課題は、IPOにおける有価証券届出書における開示をいかに適切に、かつ、開示制度及びIPOスケジュールと整合する形で実現するかであります。上記のとおり、IPOラチェット型新株予約権においては、転換価額がIPOの公開価格に基づき調整されることから、これによって既存新株予約権者が上場日に取得する株式数及び増加する発行済株式数が、公開価格の決定日(条件決定日)に初めて確定することになります。かかる株式数は、上場承認日に提出した有価証券届出書に記載した情報からの重要な変更となるため、かかる情報をIPOの申込期間の開始よりも前に、訂正届出書(具体的には、条件決定日に提出される訂正届出書)において訂正開示しておく必要があると考えられます。しかし、有価証券届出書の訂正については、金融庁「企業内容等開示ガイドライン」B8-4ニでの定めに基づき、3営業日を経過してはじめて訂正届出書の効力が発生するとされていることから、かかる訂正を行うことは一般的なIPOのスケジュールに沿わなくなってしまうのではないかが課題の1つとされていました。
この点、本ガイドラインにおいて、優先株式に関する記載ではありますが、「投資家の分かりやすさという観点での適正な開示方法とするための調整が必要」であり、「当該有価証券届出書に転換時期や転換後の情報が記載されていることが前提で、訂正届出書の提出等は不要」との整理がされています。このように、IPOラチェット型新株予約権についても、どの時点でどの程度の普通株式と引換えに新株予約権が行使又は取得されるかや、かかる普通株式の発行により既発行株式総数にどのような影響が生じるかについては、明確に有価証券届出書に記載しておくことが必要と考えられます。
この観点からは、有価証券届出書において、第二部【企業情報】第4【提出会社の状況】1【株式等の状況】(2)【新株予約権等の状況】において、転換価額の決定方法、行使条件、取得条項発動の条件を具体的に記載するとともに、第四部【株式公開情報】第3【株主の状況】においてIPOラチェット型新株予約権の転換により新株予約権者の保有する株式数や所有株式数の割合が変動する旨を記載することが求められると考えられます。また、IPOラチェット型新株予約権の条件によっては、有価証券届出書の提出時の発行済株式総数と上場日の発行済株式総数に大きな変動が生じるような場合も想定され、IPOに応募する投資家が自己の所有株式数の割合を実際よりも低く認識してしまうことがないように、第二部【企業情報】第2【事業の状況】3【事業等のリスク】において、IPOラチェット型新株予約権の転換により上場日には一定の希薄化が実現することを記載することも一考に値すると考えられます。
(2)訂正届出書における記載
また、条件決定日においては、IPOラチェット型新株予約権の目的となる普通株式の数(すなわち、上場日に新たに発行される株式数)も新株予約権の内容に沿って確定することとなります。かかる内容については投資家の投資判断に重要な情報であると考えられることからすれば、第四部【株式公開情報】第2【第三者割当等の概況】及び第3【株主の状況】等のIPOラチェット型新株予約権に関連する箇所において、潜在株式数や所有株式数の割合について確定した数値に訂正を行うことが、より投資家にとってフレンドリーな開示として考えられます16。
なお、金融庁「企業内容等開示ガイドライン」B8-4ニでの定めによれば、「有価証券届出書の証券情報以外の情報に関する事項に係る訂正届出書の提出があった場合」については、原則として3営業日経過後に有価証券届出書の効力が発生するものとされています。しかし、上記のとおり、当初の有価証券届出書において、上場日においてIPOラチェット型新株予約権の転換が生じること及びそれによる開示事項の訂正が生じることを適切に記載していることを前提とすれば、当該開示の範囲内で具体的な転換価額及び交付株式数が確定したことを訂正開示するとしても、投資家にとって不意打ちとなることはなく、むしろ、確定した結果という投資者の投資判断に当たって重要な情報を投資家に明確に伝える意義があることに鑑みれば、上記の箇所の訂正については、通常の条件決定日における条件決定に係る訂正届出書の場合と同様に、翌日の効力発生を認めることが適当であり、また解釈としても可能と考えられます。ただし、かかる扱いについては、現時点において当局からの明確なガイドライン等が示されているものではないことから、個別のIPOに係る有価証券届出書の事前相談の過程において、個別事案に応じて担当する財務局に相談することが必要であると考えられます。
(3)証券保管振替機構との関係
本ガイドラインにおいては、優先株式が上場日に転換される場合においては、新規記録の時期は上場日よりも遅れる点に言及されていますが17、IPOラチェット型新株予約権の行使又は取得においても同様に新規記録の時期が上場日に間に合わないことが考えられます。このように、新規記録が行われる時期が上場日より遅れるとしても、会社法上は新株式の発行は上場日に有効に効力を発生させることが可能であり、その場合IPOラチェット型新株予約権の保有者は上場日に株式を取得することになります。もっとも、当該IPOラチェット型新株予約権の保有者においては、上場日に取得した普通株式を上場日当日から売却することはできない事態が生じ得ることには留意が必要です。
もっとも、IPOラチェット型新株予約権の第三者割当が、発行体の上場の直前期の期首以降に行われた場合には、東京証券取引所規則に基づく継続所有の確約書(いわゆる制度ロックアップ)の対象となり、そうでない場合も、当該新株予約権者の保有割合によっては主幹事証券会社との間でのロックアップレター(いわゆる任意ロックアップ)の対象となることが想定され、かかる場合には、いずれにしても上場後一定期間(180日が一般的)内については保有する普通株式の売却を行うことができないため、この場合には上記のような証券保管振替機構の制度上新規記録が行われていないことによる実質的な影響はないこととなります。他方、上記ロックアップの対象にならない場合等については、予め投資家に説明を行うことが肝要と考えられます18。
Ⅳ. おわりに
上記のとおり、日本のスタートアップ市場においては、レイター・プレIPOステージにおける大型資金調達のニーズが高まる一方で、IPO市場環境の変化等を背景として、IPO時のバリュエーションに対する不確実性も意識されるようになっています。
IPOラチェット条項は、投資家によるダウンラウンドIPOリスクへの懸念に対応しつつ、発行体による柔軟かつ機動的な資金調達を可能とする手法です。日本においては、従来、IPO実務との関係からIPOラチェット条項の活用には一定の制約があると考えられてきましたが、近時のガイドライン整備や実務の進展を踏まえると、今後は種類株式・CEの双方において、その活用が広がっていくことが想定されます。
その中でも、IPOラチェット型新株予約権は、CEとして構成することにより、将来のバリュエーション形成を一定程度先送りしながら資金調達を実現できる点に、レイター・プレIPOステージ特有の実務的ニーズとの関係でも意義があり、同ステージのスタートアップにとって、資金調達時の有効な選択肢の一つになり得るものと考えられます。
今後、実務の蓄積が進むことで、日本におけるレイター・プレIPOファイナンスの選択肢の一つとして定着していくことが期待されますが、IPOラチェット型新株予約権の活用には、開示実務、ロックアップ対応、証券保管振替機構との関係等、IPO実務との整合までを見通した、綿密かつ適切な設計が不可欠です。イノバセル社の事例は、そのような実務の進展を示す先行事例として、今後の実務において参考になるものと考えられます。
- 経済産業省「コンバーティブル投資手段」に関する研究会「『コンバーティブル投資手段』活用ガイドライン」(2020年12月28日)
- 「SAFE(=Simple Agreement for Future Equity)」は、Y combinator社により作成・公開されています。
- J-KISS - 誰もが自由に使えるシード投資のための投資契約書 | Coral Capital
- 種類株式を発行する場合には、一株当たりの払込金額(株価)を定める必要があるため、発行済株式数に株価を乗ずることにより、必然的に発行体のバリュエーションが算定されざるを得ないことになります。
- 宍戸善一=ベンチャー・ロー・フォーラム編「スタートアップ投資契約―モデル契約と解説」(商事法務、2020)97頁
- 例えば、CEの転換価額を次回ラウンドでの新株式の発行価額に0.8を乗じた額とするという形でディスカウントを行った場合、シリーズAラウンドでA種優先株式が1株1万円で発行されると、それ以前に新株予約権を取得した投資家はA種優先株式を1株8,000円相当で取得できることになります。
- 将来の資金調達における株価(バリュエーション)が高額となり、結果的に投資家が僅少な株式しか取得できないような事態を回避するため、転換価額に一定の上限が付されることもあります(いわゆる「バリュエーションキャップ」)。
- SQUARE, INC.のForm S-1では、‟Series E preferred stock contains a provision for the adjustment of conversion price upon a public offering. In the event of such offering, in which the price per share of the Company’s common stock is less than $18.55614 (adjusted for stock splits, stock dividends, etc.), then the then-existing conversion price for the Series E preferred stock shall be adjusted so that, as of immediately prior to the completion of such public offering, each share of Series E preferred stock shall convert into (A) the number of shares of common stock issuable on conversion of such share of Series E preferred stock; and (B) an additional number of shares of common stock equal to (x) the difference between $18.55614 and the public offering price, (y) divided by the public offering share price.”と記載されており、同社のE種優先株式においてIPOラチェット条項が規定されていることが窺われます。
- Startup Newsletter 2025年10月29日号 「スタートアップ投資契約ガイドラインのアップデート(令和7年9月30日付増補版)」
- 上記のとおり、近時の日本ではレイターステージまでに株価・バリュエーションが高くなることも珍しくなく、こうした傾向がある中において、レイターステージを対象とする投資家は、当該株価・バリュエーションが実態と乖離するほどに高まってしまっているのではないか、すなわち、IPO時には同様又はそれ以上の評価を得られず、損失を被るのではないかといった懸念により、投資を行いづらくなることが想定されます。特にレイターステージではエグジットが近づいており、上場市場の類似業種等を基準とし、よりシビアな値付けがなされることに留意する必要があると指摘するものとして、飯島隆博「スタートアップファイナンス・M&Aハンドブック」(中央経済社、2024)564頁以下。
- レイター・プレIPOステージのスタートアップ企業において、IPO前にもう一段階の事業拡大や人材獲得を最後に目指すための資金を調達し、また、IPO後を見据えた株主構成を踏まえ安定株主を確保し、あるいはIPOにおけるより適切なバリュエーションに貢献するクロスオーバー投資家を招聘しておきたいといった観点から、近時高いニーズが認められます。かかる成長資金をIPO時に調達することを想定して準備を進めていた上場準備会社が、事業環境や市場環境の変化を受けて、想定していたIPOの時期を延期する判断をした場合などにおいても、IPOまでの事業資金を追加的に確保すると同時に、IPOでのより高いバリュエーションを目指すための基礎となり得る資金調達手法が、戦略的に志向されているといえます。
- なお、IPO直前期の期首以降にCEが第三者割当により発行される場合には、東京証券取引所の有価証券上場規程に基づき、発行会社は、割当先から継続所有に係る確約書(いわゆる制度ロックアップ)を取得しておく必要があり(なお東京証券取引所の規則上、株式だけでなく新株予約権の第三者割当ての場合も継続所有に係る確約書の取得が必要であり、かつ、当該新株予約権の行使により取得した株式も継続所有の対象となります。)、また、IPO時において大株主は条件決定日に主幹事証券会社からロックアップレターの提出が求められる(いわゆる任意ロックアップ)ことが実務であるため、IPOラチェット型新株予約権の発行に際しては、割当日に継続所有の確約書を取得し、かつ将来のIPO時に主幹事証券会社の要請に応じて任意ロックアップレターを提出することを、IPOラチェット型新株予約権の割当契約書において定めてことが重要となります。
- 例えば、下表記載の内容の本新株予約権が、払込金額総額100万円・想定の公開価格及び当初の転換価額1株あたり1,000円(ディスカウント・バリュエーションキャップなし)で発行された場合、公開価格1株あたり800円のダウンラウンドで株式公開された場合でも、投資家は、普通株式1,250株を取得することができます。もしIPOラチェット条項が定められていなかった場合、投資家は、当初の転換価額をベースとして普通株式1,000株(公開価格ベースで80万円相当)を取得できるにとどまります。
- なお、IPOラチェット型新株予約権を転換するにあたっては、発行体による普通株式対価による取得条項に加えて、新株予約権者において新株予約権を権利行使して目的となる株式を取得することもあり得るところです。この点、後者(新株予約権の権利行使)の場合には、1円とはいえ行使価格の払込みが必要となることや、新株予約権者主導で転換が行われることになることを踏まえると、前者の場合の方が発行体として確実性が高く、かつ、手続面でのコストが少ないものと考えられます。
- なお、IPOラチェット型新株予約権の発行要項において、普通株式対価の取得条項に加えて、新株予約権者による普通株式対価の取得請求権を規定する場合もあります。この場合、仮に取得条項による転換の効力発生日(すなわち上場日)よりも前に新株予約権者による取得請求権が行使された場合には(取得条項による転換においては、通常取得通知又は公告の日から2週間経過した日以降に転換の効力が発生することとは異なり(会社法275条1項)、取得請求権は行使時に直ちに効力を発生することになります。)、発行体における他の優先株式の希薄化防止条項にヒットしてしまい、転換価額の調整が生じてしまう可能性があります。このような事態を避けるべく、他の優先株式が残存している場合には、IPOラチェット型新株予約権発行時の割当契約書において、普通株式対価の取得請求権の行使に一定の制約をかける等の工夫が必要となり得ます(前掲10・飯島567頁も参照)。
- なお、本ガイドライン33頁では、「有価証券届出書に転換時期や転換後の情報が記載されていることが前提であるが、当該有価証券届出書の効力はすでに発生しているから、訂正届出書の提出等は不要」との見解に言及されています。
- 本ガイドライン33頁。
- なお、IPOラチェット型新株予約権の保有者について、振替株式の振替を行うための口座が開設されていない場合が生じることも考えられます。かかる場合には、関係者との協議のうえ、社債、株式等の振替に関する法律131条に基づく手続きを行うことが考えられます。